宇宙膨張とビッグバン

我々のすむ宇宙は約138億年前に生まれたと考えられている。その後膨張を続け、 現在の姿へと進化した。つまり、宇宙も人間と同じく年齢があり、年と共に変貌 を遂げていく存在なのである。このことは20世紀はじめから半ばにかけて科学的 に明らかになった事実である。一体どのようにして分かったのだろうか?

 宇宙には「誕生」の瞬間があったと考えられている。その根拠の一つが天文学 者ハッブルや宇宙物理学者ルメートルによって発見された宇宙膨張すなわち銀河 同士の距離が時間と共に増大していくという現象である。(全てのスケールで膨 張するわけではないことに注意しよう。たとえば原子自身が膨張する わけではない。)

 われわれからある銀河までの距離が増大するということは視線方向にそ の銀河がある速度で運動していることを意味するが一体どうやって銀河の速 度を測定したのであろうか?光をプリズム等に通して分光すると様々な波長の光 に分けることができる。分けられた光を光のスペクトルという。太陽などの恒星 や銀河の光を分光するとスペクトルの中に明るい輝線や暗い吸収線が 含まれている。輝線や吸収線の波長は原子や分子に固有の量であるため、これらの波長を観 測することにより、どのような物質が天体に含まれているか測定することができ る。しかし、天体が動いていると光のドップラー効果により、その波長が変化す る。いま天体が観測者から速さ$v$で視線方向に後退していたとしよう。すると光速$c$より じゅうぶん小さい極限では観測者が観測する光の波長$\lambda_0$は元の波長 $\lambda_e$に比べ

\begin{displaymath}
\Delta \lambda=\lambda_0-\lambda_e=\frac{v}{c} \lambda_e
\end{displaymath} (2.1)

だけ長くなる。つまり光の色は赤い方にずれる。この現象を赤方偏移とよ ぶ。赤方偏移の強さは通常、赤方偏移パラメータ
\begin{displaymath}
z=\frac{\Delta \lambda}{\lambda_e}
\end{displaymath} (2.2)

で表す。$z$が大きい天体ほどより速い速度で我々から遠ざかっており、より昔に その天体から光が発せられたことを意味している。

ハッブルは近傍の銀河の赤方偏移パラメータ$z$を測定し、銀河の視線 方向の速度成分(後退速度$v=cz$を求め銀河までの距離$R$の関数として 図にプロットした。多少のばらつきはあったものの、 ハッブルは「後退速度の大きさは銀河までの距離に比例する」という結果 を導き出した。これがハッブルの法則である。

\begin{displaymath}
v=H_0 R
\end{displaymath} (2.3)

比例定数 $H_0=67.8\pm 0.8\,\textrm {km}/\textrm {s}/\textrm {Mpc}$ハッブル定数と よぶ。歴史的な理由によりハッブル定数は定数$0<h<1$を用いて $H_0=100\,h\,\textrm {km}/\textrm {s}/\textrm {Mpc}$と書かれることが多い。 この法則は実はハッブルより前にルメートルが一般相対論に基づいて数学的に導 き出していた「膨張する一様等方宇宙モデル」の観測的証拠になっている。 ではなぜ、ハッブルの法則が宇宙の一様等方性と関係するのだろうか? いま、 観測者Oが静止している座標系をSとしよう。これに対し、Oから $\mbox{\boldmath$b$}$の位置 にあり後退速度 $\mbox{\boldmath$v$}_b=H_0\mbox{\boldmath$b$}$で運動している観測者O$'$が静止してい る座標系をS$'$とする。S系でハッブルの法則 $\mbox{\boldmath$v$}=H_0 \mbox{\boldmath$R$}$が成立してい るとしよう。ではS$'$系ではどのような法則が成り立っているのだろうか?S系の位置 $\mbox{\boldmath$R$}$とS$'$系の位置 $\mbox{\boldmath$R$}'$は互いに
\begin{displaymath}
\mbox{\boldmath$R$}-\mbox{\boldmath$b$}=\mbox{\boldmath$R$}'
\end{displaymath} (2.4)

の関係にある。したがって位置 $\mbox{\boldmath$R$}'$の速度 $\mbox{\boldmath$v$}'$は 
\begin{displaymath}
\mbox{\boldmath$v$}'=\frac{d\mbox{\boldmath$R$}'}{dt}=\frac{...
...ox{\boldmath$R$}-\mbox{\boldmath$b$})=H_0 \mbox{\boldmath$R$}'
\end{displaymath} (2.5)

となる。つまり、別の銀河から観測しても同じハッブルの法則が成立する。また、 この法則は観測者の向きに関係なく成立するので結局ハッブルの法則が成立する 限り宇宙膨張は一様等方でなくてはならない。逆に宇宙が一様等方に膨張してい るのであればハッブルの法則が成立するということも示すことができる。いま、 3つの銀河が三角形をつくっている場合を考えよう。等方な膨張であればこの三 角形の形は変化しないはずである。ここで三角形の大きさをあらわすために スケール因子$a$とよばれる三角形の拡大率を考える。スケール因子は 三角形のいずれかの一辺の長さを現在における長さで割った値に等しい。 スケール因子$a$が0.5であれば一辺は現在の大きさの1/2、面積は1/4になる。 また、宇宙が一様であればスケール因子は空間によらず時間だけの関数$a=a(t)$ になる。スケール因子$a(t)$と現在における銀河間距離$r$を用いると時刻$t$ における銀河1と銀河2の距離は$R(t)=a(t)r$とあらわせる($r$共動距離 とよぶ)。一方、銀河1に対する銀河2の後退速度の大きさは
\begin{displaymath}
v=\frac{dR}{dt}=\frac{da}{dt}r=\frac{\dot{a}}{a}\times
ar=\frac{\dot{a}̇}{a}\times R
\end{displaymath} (2.6)

よって、現在における宇宙の膨張率をハッブル定数とおくと
\begin{displaymath}
\frac{\dot{a}}{a}\biggr\vert _{t_0}=H_0
\end{displaymath} (2.7)

ハッブルの法則が成立することがわかる。また  
\begin{displaymath}
\frac{\dot{a}}{a}\biggr\vert _{t}=H(t)
\end{displaymath} (2.8)

を時間の関数と考えたとき$H$をハッブルパラメータとよぶ。つまり過去もしくは 未来におけるハッブル定数に対応する量である。

もし、ハッブルの法則が成立しない、 例えば銀河の後退速度の大きさが距離の二乗に比例するならばどうなるだろうか。 その場合、宇宙には「特別な点」が存在することになる。データのばらつきから 推測すると、ハッブルは宇宙の一様等方性の仮定から銀河の後退速度は距離に比 例すると考えていたのかもしれない。

現在銀河が互いに離れようとしているのであれば過去においては距離がもっと 近かったはずである。いま宇宙の膨張速度をあらわすスケール因子の時間微分 $\dot{a}$が時間によらず一定であったと仮定する。観測者と銀河Aの距離を $R(t)=a(t)r$としよう。現在$t_0$においてAは $R(t_0 )=a(t_0 )r=a_0 r=r$の距離にあるとすれ ば、時刻$t$において銀河Aの後退速度は

\begin{displaymath}
v(t)=H(t)R(t)=\frac{\dot{a}}{a}\times ar=\dot{a}r \propto r
\end{displaymath} (2.9)

である。共動距離$r$は時間によらないので、結局銀河Aの後退速度の大きさ$v$も時間によ らず一定になる。したがって、現在$R(t_0)$離れた銀河Aは 時間 $H_0^{-1}=R(t_0)/v=r/v$だけ過去にさかのぼると観測者の場所に 戻ってくる。このことは銀河Aに限らずどの銀河にもあてはまる。 例えば、銀河Aに比べ2倍遠く離れた銀河Bの後退速度の大きさは銀河Aの 2倍になるが、それぞれ等速直線運動するため、時間$H_0^{-1}$だけ遡ると どちらも観測者の場所に戻ってくる。つまり、宇宙のある時刻に 全ての銀河は一点に押し込まれていたことになる2.1$H_0^{-1}$ハッブル時間とよば れ、宇宙のおよその年齢に対応する。 

観測可能な全ての天体が一点に押し込まれていたとすれば、エネルギー密度などの 物理量は発散してしまう。このような点を特異点とよぶ。特異点からはじまり宇 宙膨張とともにエネルギー密度が低下していくモデルを広い意味でビッグバンモ デルとよぶ。ビッグバンモデルは宇宙にははじまりがあり、時間と共にその姿が 変わっていくことを予言する。

ハッブルの法則はビッグバンモデルによって自然に説明できるが、実はその 他のモデルでも説明可能である。その1つが定常モデルである。このモデルでは 宇宙の平均エネルギー密度が時間的に一定であると仮定されている。増大する体 積中でエネルギー密度を一定にとどめるには未知のエネルギーを連続的に 生成しなければならない。

ではビッグバンモデルと定常モデルどちらが正しいのであろうか?この 問題に決着を与えたのが1965年にPenziasとWilsonによって発見された 宇宙マイクロ波背景輻射(Cosmic Microwave Background, CMB)である。それは宇 宙のあらゆる方向からやって来る微弱な電波を指すが、その正体は138億年前に 起こったビッグバンの「残り火」である。もし、宇宙に光子などの輻射成分があ り、初期に宇宙が高密度だったとすると当時の宇宙は高温でもあったはずである。 その理由は以下の通りである。いま宇宙と同じように膨張する体積$V$の領域を考 えよう。そこに $\varepsilon=\alpha T^4$のエネルギー密度をもつ光子ガスが含まれているとす る。もし、宇宙に熱の流れがあれば、宇宙の一様性が壊れてしまい、観測と矛盾 してしまう。したがって宇宙は断熱膨張をしているはずである。光子ガスの圧力 $P=\varepsilon/3$を用いると熱力学第一法則から体積$V$の光子ガスの内部エネルギーの変 化は体積の変化$dV$を用いて $dE=-\varepsilon dV/3$とかける。一方、エネルギーは $E= \varepsilon V$より $Vd\varepsilon+\varepsilon dV=-\varepsilon dV/3$、 つまり

\begin{displaymath}
\frac{d\varepsilon}{\varepsilon}=-\frac{4dV}{3V}
\end{displaymath} (2.10)

が得られる。積分すると $\varepsilon \propto V^{-4/3}$の関係が得られる。 エネルギー密度と温度の間には $\varepsilon \propto T^4$、体積とスケール因 子の間には$V\propto a^3$の関係があるので結局 $T\propto a^{-1}$が得られる。 つまり、宇宙が膨張すると共に温度は減少していくのである。いいかえると、 スケール因子の小さい宇宙初期に光子ガスが熱平衡状態 にあったならば宇宙は高温であったことがわかる。宇宙の物質が完全にイオン化 してしまうほど高温になると、光子は電子と相互作用してしまうため、宇宙は 不透明になってしまう。今日観測される宇宙マイクロ波背景輻射は、 宇宙の物質がほぼ中性になり、はじめて光子が自由に飛び回ることが可能になった時代 の生き残りであると考えられている。定常モデルはこのような メカニズムをもたないため、宇宙マイクロ波背景輻射の起源を自然に説明することは難しい。 宇宙マイクロ波背景輻射はビッグバンモデルを支持する重要な観測的証拠の1つと考えられている。

さて、宇宙膨張と共に温度が減少するとき、光子の波長はどのように変化するだ ろうか? 量子力学によれば、波長$\lambda$の光子1個のエネルギー$E$はプランク 定数$h$を用いて$E=hc/\lambda$と表される。従って、光子のエネルギー密度は $\varepsilon_\gamma=E/V\propto \lambda^{-1}a^{-3} $となる。 一方、熱平衡状態にある光子のエネルギー密度はステファン・ボルツマンの法則に より温度の4乗に比例する。即ち $\varepsilon_\gamma\propto T^4\propto a^{-4}$ を満たすことから、 $\lambda \propto a$が導かれる。つまり、宇宙の中を運動 する光子の波長はスケール因子に比例しながら増大する。この性質を用いると、 光子が光源を出発した時間 $t_s$におけるスケール因子 $a_s\equiv a(t_s)$を、光源の赤方偏移$z$を用い て計算することができる。現在$t=t_0$に観測される光子の波長を$\lambda_0$$t_s$にお ける放出時の波長を$\lambda_s$とする。放出後の光子の波長はスケール因子に 比例するので、現在$t_0$におけるスケール因子を $a_0\equiv a(t_0)\equiv 1$ とすると、 $\lambda_0/\lambda_s=1/a_s$である。一方、赤方偏移は $z=\lambda_0/\lambda_s-1$と表せるので、

\begin{displaymath}
z+1=\frac{1}{a_s}
\end{displaymath} (2.11)

の関係が得られる。例えば、$z=1$の天体はスケール因子が現在 の半分$a_s=0.5$のときに光を放出したことになる。つまり、天体の赤方偏移を測 ることによって、現在観測している光が天体から放出された時間$t_s$をスケール因子$a_s$という 変数で表すことができるのである。スケール因子$a$$t_s$の具体的な関係を 導くには、宇宙膨張を表す方程式を解く必要があるが、詳しくは次章以降に述べ ることにする。